あけましておめでとうございます。
年の初めに思うことは、今年も良い年になるように身近なところから自分の出来ることを毎日できるだけ精一杯に取り組もうと思います。

 

昨年のお盆明け土曜日の朝、瞑想していて急にお遍路に行こうと思い立ち、岡山経由で徳島一番札所霊山寺からスタート。

ある勉強会でエンディングノートに「引退をしたらお遍路」と書いた。

遠いからとか、時間が無いとか行けない理由を考えるより、とにかく始めてみようと。

費用のこともあるので行けるときに行けるだけという軽い気持ちで。

 

 

 旅の醍醐味の最たるものは、今自分がその場所にいるという実感ではないだろうか。
 写真でしか見たことの無かった観光スポットの実物を、これが有名なあれかぁ、と見物して有意義な気分に浸ったり、今後二度と会うことはないであろう素晴らしい人たちに心温まったり、珍しいご当地料理に、うまいんだかなんだかよくわからないけど舌鼓を打ったり、さらにもう一歩踏み込んで、現地でしか知り得ない歴史や風俗を学び、ささやかな知識の増進に悦に入ったりなどなど旅の感動数あるけれど、この、今自分はここにいる、と言う発見ほどすがすがしものはない。
 その臨場感にこそ旅の本質はあるのである。

 

 

お遍路をしているときに旅のお供になってもらいました。

ズバリお遍路本ではなく、ちょっと斜めから見ていて、ニヤッとする本です。
宮田さんは特に神妙な動機は何もなく、四国を一周してみたい、八十八箇所全部を歩いて回ってみたい、という理由ではじめた遍路の旅です。

自転車でしまなみ海道を渡ったり、カヌーで川を下ったり、信心薄め、観光&寄り道し放題のちょっと風変わりなお遍路記録です。

 

 

 多くのお遍路が、四国を特別な土地と思い見なし、ただそこにいるだけで感動したり、感謝したりする。冷めた目で見れば、遍路道の9割以上はアスファルト道路で、ときにはトラックがばんばん走る国道に過ぎなかったりするにもかかわらず、それは美化され、心の中に光り輝いている。
 なかにはそうして美化することに反発を覚える人もいるだろう。
 この幻想を受け入れるか否か。四国幻想にどっぷりハマるか、あるいは拒絶するか。私は弘法大師空海をあがめてもいないし、仏の存在など心から信じているわけでもない。だから自分は偽遍路だと思っていた。
 だが、1か0かではなく、中間的な立場もきっとあって、多くの遍路はそうした曖昧な立ち位置で歩いているように見える。私自身も、弘法大師や四国への感謝の気持ちを大げさに表明する人の言葉に鼻白む一方で、四国を歩くことを楽しみ、出会った人に感謝することも少なくなかった。
 心の修行と見なし、厚い信仰心で回るのも良し、単なるロングウォークと割り切るのも良し、歩かなくても良し、途中で気が変わればもっと良し。

 

 

私がお遍路をする動機は、50歳の時に大病をした時、まあまあ普通の生活をすることができるようになったら、仕事に専念することができること、そのお礼に行こうと思っていました。

「家族、社員、社員の家族が健康で、事故無く、怪我無く、それぞれがしあわせを感じて毎日を過ごすことが出来ますように。

そして、会社の基となる仕事に恵まれますように」

とお礼とお願いを祈願しました。

四国を回っていて思うことは、阿波、土佐、伊予、讃岐の国それぞれがとても風土が違うなと感じます。なんとなくそこに住んでいる人たちの肌触りも違うように感じます。

それと、確かに弘法大師空海さんとゆかりはあるけれど、八十八箇所お遍路はやはり人間が考えた後付け、商売で言うところの市場を作るという感じもありました。

そういう中でも心に残っているのは、37番岩本寺で小学生たちから御接待を受けたこと。

社会勉強の一環のようでしたが、手作りのコースター、千羽鶴、お菓子などとともに心のこもった手紙には、疲れている中で心が洗われるような気持ちになりました。

 

ルールや約束事にとらわれず、人それぞれ自分に合ったお参りで良いのかなと思います。
2018年1月5日
株式会社 名北総合技研          代表取締役 山田雅登

マハトマ・ガンジー
「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」