ひやおろしの日本酒が美味しい季節になってきました。
今回はちょっと脱線気味の本棚です。

2002年に発刊(文庫本は2011年)されてから15年経っていますので、日本酒を取り巻く環境は当時と比べかなり変わっていると思います。

私はお酒好きですが、二日酔いの元凶になる飲み放題メニューの日本酒(三倍増醸酒)を飲めなくなりました。
純米酒が美味しい。ワインと同じでそれぞれのお酒に個性があって楽しんで飲むことができる。
中には売れ行きナンバーワンの獺祭のような徹底して工場と同じように完全オートメーション化され、品質管理されたお酒もある。

杜氏をはじめとして人手が不足している問題を逆手にとって、あそこまで徹底して酒造りをするのは頭が下がる。
美味しいなと思うが、面白みがない。

こればかりは飲む人の好み、嗜好品だから仕方が無い。
 

 

 日本酒というのは、秋の完成を目指してつくるのが本当だ。
 できたばかりの春先には少々荒々しく渋くとも、夏の間じっくりと寝かせているうちに熟成され、土用の丑の日を過ぎたあたりから丸みを帯びて、旨味が増し、味の奥底に潜んでいた香りも浮かび出て、秋上がりの時期を迎える。
 これが日本酒本来の姿であるのに、多くの酒造家が春に行われる全国新酒鑑評会に的を絞ってつくるからうわべの味はよい力強さがなく、寝かせておいても美味しくならないひ弱な酒が増えた。
 日本酒は温度を変えることによって味わいが変わる希有の酒だ。

 

 

 

なんだか新入社員のキビキビしながらもどことなく不安な気持ちで仕事をしていたのが、いろいろなことにもまれて味わいのある仕事をする中堅社員みたいですね。
さらによい生き方をすると円熟味を増してお客さんに頼られるビジネスマンになるのでしょう。

 

 

 

 日本酒度は本来、麹末期での残存糖分とアルコール濃度の関係を示す酒造用語である。消費者向けには、プラスの数値が大きくなるほど辛口、マイナスの数値が大きくなるほど甘口になると説明されているが、そういう見方をすると半分も当たらない。その理由は大きく分けて二つある。
 一つには、酒の甘さを呈する成分が糖分だけではないと言うことだ。
清酒の中には、米のデンプンに由来するブドウ糖やマルトース、中間物質のデキストリンなどの糖分が含まれ、酒に甘さやとろみをあたえている。
 もう一つの理由は酸度との関係がある。清酒中に含まれる酸は、酒母から来る乳酸と麹発酵によって生じるコハク酸が大部分を占めている。これらの酸が、鮭の甘辛にも濃淡にも大きな影響を与えている。
 酸味の少ないミカンは甘いのと同じ理屈で、酸度の低い酒は糖分が少なくても(日本酒度がプラスでも)甘く感じられる。逆に酸度の低い酒は、日本酒度がマイナスでも甘く感じにくい。また、糖分が多く、酸度も高いと酒は重く、飲みにくく感じられる。

 

 

一つの指標だけで判断せずに、自分の目で見て味わって、直感的、多面的に分析して評価をしなさいということでしょうか。
人を評価するときも同じです。

 

 

 

 

 あとがき

 私は酒が好きで、酒造技術指導という仕事にも誇りを持っている。
 良い酒を造ると言うことは難しく、やればやるほどわからないことだらけになってしまう奥深い仕事であるが、この年まで続けてきて、これだけはいえると思うことがある。

 酒には必ずつくり手の本性が現れると言うことだ。同じ米と水、同じ酵母を使ったとしても、つくり手が違えば酒は違ってくる。たとえ数値の上では同じでも、味は同じにはならない。同じ酒造家がつくっても、気持ちの入れようが変われば、酒は別物になってくる。

 

 

 

同じ基準書を使い、同じ設計条件で設計しても、エンドユーザーの事を考えて設計をする人としない人では違うものができあがるのと同じでしょうか。

一時期止めていたお酒を再開してもう5年もたってしまいました。
お酒が美味しいと思えるので、体調も周りの環境も良いのだと思います。
しかし、過ぎたるは及ばざるがごとしと言いますので飲み過ぎないようにして、人生を楽しみたいものです。

 

 

2017年10月2日
株式会社 名北総合技研          代表取締役 山田雅登

マハトマ・ガンジー
「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」